-- では、キャンプの後の大学への出願プロセスには、どうやって取り組んだの?

 

とりあえずTOEFLとSATのスコアを出してくれって言われて、それは一生懸命勉強しました。あとはエッセイも書かなくちゃいけなかったんだけど、日本の英語学校で見てもらって、TOEFLも専門学校のようなところに通って、そういうところで手伝ってもらいつつ週ガンしました。でも、それまで監督と連絡を取っていたのに、その年の12月に突然連絡が取れなくなってしまったんです。もう留学間近ていう時期だったんだけど、その監督が別の大学に移ってしまったらしくて。それで、「どうするの?」って焦っていたら、マークが新しくFSUの監督になってすぐ連絡が来て、そこからスムーズに手続きが進みました。

 

-- それはいつ頃のこと?

 

1月の終わりか2月の初めとか。

 

-- じゃあもう高校も卒業寸前だったね。そのタイミングでマークが来たのは偶然でしょう?

 

そう、偶然。

 

-- ちなみにマークとの初めての出会いは?

 

私が17歳の時に、U-19のアメリカと中国とオランダと日本の親善試合みたいな大会がカリフォルニアであったんです。その時の日本とアメリカの試合で私が先発出場した時のアメリカの監督がマークで、それが初めての出会いでした。でもまさかその後、マークがFSUの監督になることなんて知らなかったし、運命でしたね、あれは。

 

-- FSUの留学生としてアメリカに来たのはどのタイミング?

 

アメリカに来たのは高校を卒業した4月の終わりです。その時はCIESっていうFSUに併設されている語学学校に大学が始まるまで通って、8月からはFSUサッカーチームのプレシーズンが始まり、8月の終わりから大学の新学期が始まりました。

 

-- では、ここからは大学に入ってからの思い出ということで、まず1年目はどうだった?

 

1年目は良い思い出がない・・・。とにかく勉強が大変だったから、サッカーを思い切りした感じがなかったです。もう、1日1日を乗り越えるのが精一杯。朝6時半からチューター(学生アスリートの学業をサポートしてくれる専属家庭教師)で、授業に行って練習に行って、そのあとチューターを夜の9時とか10時までやって、それから寮に帰り宿題をやったりっていう繰り返しで。それでも、「サッカーで成功したい」っていう気持ちで留学したから、FSUの環境でサッカーが出来ることに感激していて、時間があればいつもグラウンドに行ってボールを蹴っていたことをよく覚えています。日本では毎日芝生でボールを蹴れるっていうことも考えられなかったから。

でも、試合では本当に自分のとこにボールが来なかった。とりあえず英語をしゃべれないっていうことでチームメートからの信頼が無かったから。呼んでも全然ボールが来なかったし。周りが何を言っているか理解できていなかったから、コミュニケーションの大切さを痛感して、悔しい1年でした。コミュニケーション能力を除いても、自分自身のパフォーマンスに対して全く満足できなかった事を覚えています。

 

-- 1年生の時の起用方法はどうだったの?

 

FSUの選手時代
FSUの選手時代

サイドハーフで全試合に出場できたんですけど個人的に満足のいくプレーは全然できなかったです。ポジションも左ハーフで初めてやるポジションだったので適応するのにも時間がかかりました1年目はサッカーを楽しんだというイメージはほとんどないですね。

でもマークが監督になりユース代表選手を海外から集め始めて、1年目の時は私自身を含め チームで6ヵ国の選手達が集まりました。インターナショナルの選手達のポテンシャルとアメリカの選手達のポテンシャルを上手く融合したサッカーをし始めた のでとても面白いなと思いました。それ以前はインターナショナルの選手がいなくアメリカ人の選手が主体だったはずだと思うんですけど。

 

-- そうすると、FSUでは海外から来た選手を受け入れる体制はあったんだね。勉強はいつ頃からだんだん慣れてきたと感じ始めた?

 

ずっと大変でした! でも1年半くらい経って、2年生になってからは1年間のペースがわかってきたけど。それでもやっぱり、勉強は大変でしたね。秋学期のシーズン中は特に、両立するというのは本当に簡単じゃなかったです。

 

-- 1年生の時の良かった記憶というと?

 

カレッジカップ(ディビジョン1の全国大会準決勝以降の名称)に出れたことですね。 1年生の時は、当時最強だったUNCにPKで勝って劇的な形でファイナル・フォー(カレッジ・カップの別名)に進出が決まって。ファイナル・フォーは初めてのことだったし、ハリウッド気分でした。バンケットの送迎はホテルからリムジンで、本当にセレブリティという扱いをしてくれたんです。チームのみんなはドレスアップして、メディア もESPNのインタビューを色々な選手が受けたりとか。その年は大会は準決勝で負けちゃったんだけど、ディビジョン1で300校以上ある中でファイナル・ フォーに2年生の時も3年生の時も行けることができたので、とても恵まれてましたね。

 

-- NCAAやファイナル・フォーの話などは前もってチーム内であったの?

 

チー ム内で話をしていたと思うけど、一年生の時は英語が喋らなかったから、全然わからなかったんです。「What’s going on?」みたいな。1日1日サッカーをやって勉強をして、ということの繰り返しだったから、何が起こっているのか、どのくらい凄いのか全然わからなかった んだけど、とりあえずファイナル・フォーに行けるということはわかって。UNCを倒したということだけは、本当に凄いと思ったんですよ。当時アメリカのフル代表でプレーしている選手が3、4人いて最強のUNCだったので。